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2014年2月24日月曜日

「婦人画報」に掲載されました!!

こんにちは。

今日はお天気も良く、道北地方にしては暖かい一日です。
現在、プラスの気温になっているようです。(たぶん・・・)
春が来ると思うとうれしくなりますね!!


これは「婦人画報」という有名な雑誌です。
昨年の11月末に発売された「新年特大号」です。
テーマは「北前船が寄港していた頃のお正月料理」だったと思います。
増毛は良い水であったことから北前船が水の補給をしていました。
沖合には何艘もの船が停泊しており、荷の積み卸しが頻繁に行われていたようです。
港は喧騒に包まれていたことと思います。
鰊の季節はまさに今でしょ。
「春告魚」と書くのですよ~。


今回は「國稀酒造」さんと「旧商家丸一本間家」を取り上げて頂きました。

これは一番の贅沢な造りの「客間」になります。
床の間の真ん中の床柱は「黒檀」を使っており、床脇は兄弟画家「石塚仙堂」「仙田菱畝」の美しい絵が描かれ、静かで落ち着いた雰囲気があります。
実際に本間家ではここでお正月のお祝いをしていたそうです。

私も朝のお掃除の時に、この部屋で気分を落ち着かせることがあります。
この部屋からの中庭の眺め、白木蓮の美しさ、焼尻オンコの強さ・・朝の空気は最高です。

是非、本間家に足をお運びください。(平成26年4月25日開館)
いい時間が過ごせると思います。
ゆっくり、はんなり・・してみませんか?

          女中頭 さとう

2014年2月21日金曜日

雪は恐いですね

こんにちは。今日の増毛町は久しぶりの晴れ間が出ています。
気温が高くなってくると屋根からの落雪もあり、とても危険です。
軒先や川の付近、斜面のそばなどには近づかないようにお願いいたします。

先週末から全国的に雪の被害がありました。
北海道も大荒れの天気となりましたが今回は特に道東方面の被害が大きかったようです。
関東地方から北上して道東に上陸し反時計回りの風が強く吹き、
宗谷地方から日本海側にも影響を及ぼしました。
ひどい吹雪になりました。
雪の降らない地域の方にとっては本当に大変なことだったと思います。

雪害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。


大番頭松本さんも、毎日雪かき作業に追われています。
「毎日、これだもな~。」つぶやきが多くなりました。
でも頑張っています!!

              女中頭 さとう

2014年2月12日水曜日

増毛いろいろ



こんにちは。今日はどんよりと曇って久しぶりに落ち着いた空模様です。
昨日で札幌雪祭りも終わりましたがオホーツク海側では「流氷祭り」が開催されています。
流氷の氷は海水より塩分が少なく1%くらいだそうです。(海水の塩分濃度は3~3.5%)
とてもきれいなブルーの氷に見えます。初めて見たときは感動しました!

さて、この写真は旧増毛小学校から海に向かって降りて来たところです。
別名「増毛チャーミーグリーンの坂」(私が勝手に言ってます)
右手には役場庁舎、左には「厳島神社」があります。
増毛には30ヵ所の史跡があります。
とくにこの辺りは「増毛治安裁判所跡」や「津軽藩の越年陣屋跡」など散策できるコースの
中に収まっています。
函館の基坂や八幡坂には及びませんがここの坂も天気のいい夏は眺めがいいんですよ~。


続いては「なべやきうどん」冬はやっぱりコレ!!
町内にあるお寿司屋さんの冬メニューです。
この日はちょっぴり贅沢して「ランチ」しました。

体もあったまり、ほっこり気分で午後からの仕事をしました。
おいしかった~~。

女中頭 さとう

2014年2月4日火曜日

伯爵 通房氏とは?


こんにちは。今週の天気予報は最高気温が氷点下の寒い日が続きそうです。
日中でも水道凍結注意の予報が出ることもあります。
早く春が来てほしいと願う毎日です。

さて今日の話題です。
この写真は本間家の「次の間」にある書の額で、
書いた方は「万里小路 通房(1848~1932)」(までのこうじ みちふさ)
万里小路家は公家で鎌倉中期に始まった家で通房氏は27代目当主になります。
京都で生まれ、東京に移り住みました。
戊辰戦争の軍功によって賞典禄100石を永世下賜され明治30年からは貴族院議員を歴任しています。
明治30年から大正13年まで約4期務めた方です。(貴族院の任期は1期が7年)

貴族院は大日本帝国憲法下の日本における帝国議会の上院で
1890年(明治23年)~1947年(昭和22年)まで存在しました。
貴族院は衆議院と同格でしたが、予算先議権は衆議院が持っていたようです。

この額の言葉は「美意延年」・・・心が楽しければ自然と長生きできるという意味があります。
勝海舟もよく使っていた言葉だそうです。
昔の人たちは皆、こうした言葉で励まし合い、激動の時代を生きていたのでしょうね。

女中頭さとう