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2015年2月10日火曜日

増毛駅~その2

こんにちは。今日の増毛町は雪が降っています。昨日は暴風雪警報が出されました。
車でお出掛けの方は突然のホワイトアウトにお気をつけ下さいね。

さて上の写真は大正時代の増毛駅です。
鉄道の開通が大正10年(1921年)。今年で94年になります。
現在の駅から比べると倍以上の大きさですね。
かっこいいですね~。見ているだけでワクワクしますね。

明治26年に客馬車が開通し、鉄道が敷かれるまで色々な苦労があったようです。
「本間泰蔵」さんの大正5年の手帳から面白い一節をみつけました。



明治40年の衆貴両院の予算決定の際に増毛鉄道運動員という方々がいて、上京して陳情していたようです。しかし、その時には予算は通らず泣く泣く帰ってきたようです。

時は過ぎ大正5年2月・・・ " キインダケ フセイリツシタ 八ヒ ホンカイギ ツウカノハズ アンシンアレ "との電報が来た!
八日・九日と過ぎ・・・十二日 " イマ トウロンチウ 六ジコロキマル ミコミ  "
そして午後八時 " イマ ヨサンツウカシタ バンサーイ "
ついに予算が通過して鉄道を敷くことができる!!

次の日 十三日夜の手帳には
 " 阿分より始まり別苅へ行く 増毛に帰り、提灯行列盛大に行われ至る所口に酒をだし、或いは赤飯を出したる者もあり "  

町中が喜びに沸いたことでしょう。どんなに待っていたことか・・・。

港湾整備・鉄道敷設に関しては、留萌から後れを取っていた増毛は、この予算本会議でやっと鉄道敷設が許されました。
すでに増毛支庁も大正3年に留萌へ移行されていました。
支庁・裁判所・税務署・・・どんどん増毛から留萌へ。
そんな中での、鉄道敷設!
町を挙げての祝杯だったのでしょう。目に浮かびます。
赤飯を炊き、酒を飲む・・・・・。

現在は一両編成ながら、元気に列車が走っています。

ですが時代は新幹線。「増毛駅」の運命は?
個人的には廃線にならないことを願っています。
列車の旅には良い思い出が多いですね。
一番はたぶん、「修学旅行」かなと思います。初めて北海道から外に出た時です。
4泊5日のうち車中泊が2日です。上中下の三段のベッドがついた寝台車でした。
先生に叱られながら寝ずに列車の旅を満喫しました。(函館~青森間は連絡船でした)
どんな時もいい旅でした。

現在、本間泰蔵さんの手帳の書き下し作業をさせて頂いております。
おもしろい話題はお知らせしていきますので、楽しみにしていてくださいね~。

                                          女中頭 さとう